へっぽこ記

リタイア済★毎日ヒマでぐうたらな日々。欲望と断捨離とスピと植物とお金。男っ気は無いよ。

誕生日のめでたさが分からない

 

 

自分の誕生日が嬉しかったことは無い。

何がめでたいのかよく分からない。

実際、自分が生まれた日は家族の誰も喜んでいなかった。

産院は私の頭の傷を隠すために退院するまで私を隔離してたけど、家族は私を見にこなかったというし、母も私の様子は気にならなかったらしい。家に連れ帰ってから私の頭から血が出てるのに気づいたと。私の頭には今も3cmくらいの傷が残ってる。縫ってくれてたら傷はもう少し小さくなったかもしれないのに。

生まれた瞬間から私は人間不信になったのかもしれない。

でも、この世を生きるには人間不信くらいでちょうどいい。

 

というわけで、自分の誕生日がめでたくないくらいだから、人の誕生日も別にめでたくない。

心に無いことは言わないタイプだけど、言わなきゃいけない時は大人のマナーで「誕生日おめでとう」くらいは言う。

誕生日を祝い合うのが面倒だから、人と会話する時は誕生月も言わないように気をつける。誕生日がうっかりバレてしまい、カードなんかを贈られたりすると、お祝い対決の始まりだ。こう見えて私は誠実なほうなので、やられた事はちゃんと返す。2年くらいやりとりすると相手方のほうが挫折してしまうことがある。中途半端な覚悟でお祝い対決を始めるなと私は思ってしまう。心優しい人は「そんな冷たいことを思わずに、祝ってくれる気持ちを素直に喜べばいいのに」とか思うんだろけど。

でもあっち側から始めたことなのに、あっち側の都合でやめられるのも気分悪い。

だっから最初からやるなと思うのは普通の感情だと思う。

 

プレゼントは買うのも贈られるのも大の苦手。

人にプレゼントするのが好きな人がいるけど、プレゼント苦手な人もいるから気をつけて。私なんてこの世に嫌いなものがありすぎるから、「この企業から買ったものか…。」とか「添加物入ってるわ…。」とか思ってるよ。大人だから「ありがとー」って言って受け取ったけど。

ま、私も40半ばだからね。

この気持ちをあらかじめ人に説明しておく知恵がついたので、もうこういうことに悩まされることは無くなった。

 

ただ1人の友人とだけ誕生日に手紙を送り合うのだけは10年以上続いてる。

年月が経つことで深みがでてきた感がある。

私の誕生日はこの友人の手紙だけで十分。

 

母は私の誕生日覚えてないから、特に自分からは何も言わないで普通の日として過ごしてる。