老人が肺炎で入院すると、ほとんど死ぬと思う。
母が入院した日は朝の10時50分くらいに病院に着いた。
そこからコロナの検査があったりして、待ち時間がとても長かった。
(このコロナの検査は病人には大変負担が重いと思う。)
母の手が冷たかったから私は母の手をずっと握って温めていた。
午後を過ぎてようやく先生の診察があり、けっこう重い肺炎だと言われた。
母は入院を渋っていたけど、私は自宅で治すのは無理だと判断して入院をお願いした。
その後も検査が色々とあって、17時頃にはお腹が空いてきたので、チョコレートと赤ちゃん向けの煎餅を合間に母と急いで食べた。
それが母のこの世での最後の食事になった。
18時頃にようやく母はベッドに横になることが出来た。
廊下のソファのところで私は主治医の先生から説明を受けて、母が死ぬかもしれないという重い現実を突き付けられた。
今夜もいつ急変してもおかしくないと。
その後、防護服を着て母と2分くらい面会した。
私が「会えるのはもうこれで最後かもしれない」と母に言うと、ベッドに横たわった母は私に手を伸ばして「わ~~ん」と泣いた。
そこから母は絶食。
点滴と薬だけで生かされることになる。
(私はこの日の夜ご飯は食べさせてもらえるだろうと勝手に思っていた)
だんだん肺の状態は悪くなっていき、そこから心臓にも負担がかかっていった。
それから2日後、母の状態が危険だということで再び面会に行った時に母はご飯が食べたいと言った。
家に戻ってから私は気が気ではなかった。
食べ物を食べなかったら、免疫力が下がるだろうし、飲み込む力も失われる。
飲み込む力が無くなるとまた誤嚥性肺炎になってしまう。
ベッドに拘束されてるから歩く力も無くなっているだろう。
退院できたとしても生命力を著しく低下させられてるから、またすぐに入院になりそうだ。
そりゃあ肺炎の年寄りにご飯を食べさせるのは手間がかかるし危険だしで、病院としては絶対にやりたくないだろう。
でもこの治療って弱って死んでいくのを待ってるだけのように感じる。
結果論だけど、入院させないで薬だけを貰って、家でご飯を食べさせて安静にさせていたらどうなっていたんだろうと考えてしまう。
そして肺炎に効きそうなことを色々と試してみたらどうなっただろうかと。
母は咳は出てなかったし、絶食になると聞かされてたら入院させなかったかも。
でもまぁ、家で死んだら死んだで、入院させれば良かったと後悔しただろうから、もう考えても仕方ないことだけど。
でも時間が戻せたとしたら、入院させずに家に連れて帰りたい。
ご飯を食べさせてやりたかったし、ほとんど面会出来なかったから。
私の周りでも、点滴と薬だけで生かされている高齢の人が2人いる。
2人とも認知症になってきたという。
そりゃそうなるでしょうね。
私はこんな治療は受けたくないと思う。
自力で食べられなくなったら終わりにしてほしい。
母は食べたかったのに食べさせてあげられなかったのが可哀そうだった。
点滴だけでどうやって病気と闘う力が出るというのさ。